ブラジルを旅して

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ブラジルはサンパウロを旅したことがある。
成田から28時間かかった。
アメリカン航空でニューヨークのジョン F. ケネディ空港で乗り継いだのだが、大幅に遅れ、乗り継ぎ時間が20分しかなく、しかも乗り継ぎカウンターはアメリカ人特有の、何を言っているのかわからないが、ずっとカウンターを占拠して何かを交渉している。
完全に乗り遅れると思ったが、空港職員の機転で何も手続きすることなく何とか乗り継ぐことが出来た。

しかし、これだけの長時間座ると、帰国してからも1週間ぐらいはお尻が痛かった。

サンパウロ到着後、早速日本人街へ行ってみた。
リベルタージというのだが、聞くところによると、今ではロサンゼルスのリトル東京同様に支那人や朝鮮人が多く入ってきてしまい、東洋人街と呼ばれるようになってしまったという。
日本人の勢いがどんどんなくなっていく。

サイパン、パラオ、グァムも然り、日系のホテルはどんどん支那や朝鮮に買収されてしまった。
このサンパウロのリベルタージには大きな赤い鳥居があり、橋には大阪橋と名がつけられ、今でも日系のニッケイパレスホテルがあり、日系のスーパーマーケットや食品店等があり、レストランなどは昭和30年〜40年代の日本を彷彿とさせる感じで、とても懐かしい時間が止まっている雰囲気である。
今でも辛うじてニッケイパレスホテルは日系だし、大鳥居もあるのだが、日本人は減少傾向にあるようだ。
ちなみに、このリベルタージには日系人博物館がある。

何で支那人や朝鮮人は日本人が嫌いだと言っているのに、わざわざ寄って来るのか不思議である。
どこの国に行ってもそうなのだ。

つらつら思うに、何でこんなに日本人は弱くなってしまったのだろう。
日本の国土は、支那や朝鮮、その他の国々にどんどん買われ、入植されている始末、なぜこんなことになっているのか。
当時の勢いはどうした。
かつて、ロサンゼルスのダウンタウンにあるファイナンシャルタワーには三和銀行(現 三菱UFJ銀行)のネオンがひときわ輝き、住友銀行(現 三井住友銀行)や東京三菱銀行(現 三菱UFJ銀行)がいたるところにあった。
リトルトーキョーのホテルニューオータニは、とうの昔に買収され、既に日本人の手を離れニューオータニではない。
ブラジルの話から別の話になってしまったが、日本人よ強くなれ!

ブラジルの言語はポルトガル語である。
南アメリカの大抵の国はスペイン語なのだが、ブラジルだけはポルトガル語である。
それはなぜかというと、ポルトガル領だったからだ。

明治時代に多くの日本人が国策によってブラジルに移住してきた。
一世たちの苦労はいかばかりだったろう。
奴隷同然の暮らしに耐え切れず、帰国した方々も多いが、ブラジルに残って財を成し、牧場や農場を経営したり、政府の要職に就いたり、企業経営や飲食店を経営して大成功をおさめた方々も大勢いおられる。
裸一貫で財を成した日本人は、ブラジルで大変尊敬されている。

そもそも、日本人は移住先の国に同化し、その国のために尽くす民族であることが大変世界的に評価され、日系人が大統領や知事になったり、警察署長や軍の高官、大臣、地方自治体の首長に就かれる方も多い。
チャイニーズやコリアンとはそこが大きく違うところだ。
だから日本人は高く評価されるのである。

日本人は本当に素晴らしいと思うのである。

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