親鸞(しんらん)

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浄土真宗の宗祖。
鎌倉時代前半から中期(承安3年4月1日〜弘長2年11月28日)にかけての仏教家。
浄土宗の宗祖、法然上人を師と仰ぎ、浄土往生を説く教えを継承された。
承安3年(1173年)4月1日に法界寺、日野誕生院(京都市伏見区日野)付近にて、皇太后宮大進(皇太后の家政)日野有範(ひの ありのり)の長男として誕生する。
母は源八幡太郎義家(みなもとのはちまんたろうよしいえ)の孫娘貴光女と言われているが定かでない。
幼名は松若麿または松若丸といった。
治承5年(1181年)京都青蓮院に入り、後の天台座主慈円(てんだいざす じえん:天台座主とは天台宗の最高位の僧侶のこと)のもとで得度し、範宴(はんねん)と号した。
親鸞29歳の頃、比叡山を下山し、法然の専修念仏(せんじゅねんぶつ:ひたすらに念仏『南無阿弥陀仏』を唱えること)の教えに触れ入門する。
この時、法然より綽空(しゃっくう)の名を与えられる。
親鸞は念仏(南無阿弥陀仏)を口で唱えるだけでなく、心の中で念ずること、心の中で唱えることでも極楽浄土に往生できると説く。
確かに喋ることが出来ない人や、うまく言葉を発することが出来ない人々がこの世の中にはいるわけで、そのような人々に光を与えた。

また、親鸞は肉食妻帯をしたことでも有名で、法然のもとで修業する間に九条兼実(くじょう かねざね)の娘である玉日と結婚し、7人の子をもうけた。

当時の僧侶は肉食妻帯を禁じられていたが、親鸞は釈迦も妻帯し子ももうけていたとし、俗世の中にあってこそ僧侶は人々を救うべきであるとして、人として生きた。
浄土真宗の僧侶は剃髪(頭髪を剃ること)せず、長髪である。
そして寺院は代々世襲し、宗門は親鸞の血を引く者が代々世襲し、親鸞以来の法灯を守っている。
浄土真宗は、浄土真宗本願寺派(西本願寺)と浄土真宗大谷派(東本願寺)の法主(門主、門首)をそれぞれ世襲し、大谷姓を称している。

現在、真宗本願寺派第二十五世門主の大谷光淳(専如)、真宗大谷派第二十五世門主の大谷暢顯(浄如)はそれぞれ親鸞から見て直系25親等にあたる。

ちなみに、かつては低層階の人々に受け入れられ、一向一揆(いっこういっき)の旗頭にもなったことから一向宗や門徒宗と呼ばれていた。
江戸幕府あるいはそれ以前から、一向宗は肉食妻帯や剃髪をしないことから一つの宗派としては正式に認められず、浄土宗の一派という位置付けであった。
浄土真宗という名称は明治時代以降に称するようになった、そういう意味では新しい宗派である。
浄土真宗では、信者のことを門徒(もんと)と称する。

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