カンボジアを旅して

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※塔のような建物の写真はキリングフィールドにある供養塔で、この中には上から下までぎっしりと頭蓋骨が納められている
その下の写真は宿泊ホテルから眺めたプノンペンの街並み

カンボジアへの直行便はないので、私はチャイナエアライン(中華航空)を利用し台北乗り継ぎで16時間かけて行ってきた。
その昔、ポル・ポトによる恐ろしい弾圧があったとは思えないほど穏やかな国だと思った。
カンボジアと聞くとポル・ポトという人物名と直結し、その後、大量の殺戮という言葉に結び付いてしまう。

今回の旅は2泊3日の強行スケジュール、主要なところだけを巡り、移動はトゥクトゥクと決めていた。
綺麗なプノンペン空港から一歩外に出ると、すごい人だかりができていて、タクシーやトゥクトゥクとの客引き合戦だ。
さっそく声をかけてきたトゥクトゥクに乗ってポル・ポト時代の刑務所(トゥールスレン虐殺博物館)に行った。
トゥクトゥクのおじさんに英語で「ここで待っていてくれ」と伝えたつもりだったのだが、そのまま「サンキュー、サンキュー」と言いながら去ってしまった。
カンボジアではあまり英語が通じない?

そして私は、この刑務所前にたむろしていたボッタクリトゥクトゥクに乗ってしまうハメになる。
このトゥクトゥクのおじさん、案の定ボッタクリだったが凄く親切な人だった。
私が一番行きたかったキリングフィールドへ連れて行ってくれ、そこで食事にも連れて行ってくれた。
勿論、費用は当然こちら払い。

原始共産主義を掲げるポル・ポトは、クメール・ルージュ政権を樹立し総人口の約1/3を大量虐殺した。
虐殺された対象者は、教師、医者、公務員、資本家、芸術家、宗教関係者等知識層の人々であった。
それがキリングフィールドという処刑場で行われた。
それも、処刑の方法は、銃は弾薬に費用がかかるから使用せず、ナタや刃物が使われ、しまいにはヤシの木の皮を使用したという。
赤ん坊まで殺され、その処刑のし方は、赤ん坊の頭を木に打ちつけるというもの。
木の幹には脳みそや頭蓋骨の破片がこびりついていたそうだ。

今でも処刑された人々の骨や衣服が地面からむき出しになっている。
その上を歩くのだ。
キリングフィールドの敷地内にある大量の穴は、死体が埋められた穴なのである。
今でもまだ発掘されていない死体が埋められた穴が多数存在しているそうだ。

そんな地獄のような試練を乗り越えて、いまカンボジアは活気に溢れ、エネルギッシュで勢いのある国に発展している。
貧しい東南アジア独特の混沌とした雰囲気があり、上述のようなボッタクリがいたり、ホテルは旅行会社を通じて予約し、バウチャーを渡したにもかかわらずフロントで予約はないから宿泊費を払えと言われたりと、散々だったが、基本的にカンボジア人は仏教徒であり、性格は日本人のようにおくゆかしい。

中国資本が多く入っているところがちょっとアレだが、日本人には結構心地良い国なのかもしれない。
ちなみに、カンボジアへ入国するためにはビザが必要だ。

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