武将 福島正則(ふくしままさのり)

※ 福島正則公屋敷跡

※ 福島正則公屋敷跡

豊臣秀吉の子飼いの武将で、加藤清正(かとうきよまさ)などと共に幼少期から豊臣秀吉に仕え、数々の武功をたて、伊予今治(いよ いまばり)11万3千石の大名に出世した人物であり、その勇猛さは世に知られている。
永禄4年(1561年)、桶屋を営んでいた福島正信の長男として尾張海東郡(おわりかいとうぐん:現 愛媛県あま市)で生まれる。
母が豊臣秀吉の叔母(大政所(おおまんどころ)の姉妹)であったため、その縁により幼少期より小姓(こしょう)として豊臣秀吉に仕えた。
天正6年(1578年)播磨三木城(はりま みきじょう)の戦で初陣を飾り、それ以降山崎の戦い、小牧・長久手の戦い、四国征伐、九州平定、文禄の役(朝鮮出兵)等で武功を立てた。

関ヶ原の合戦の際は、石田三成(いしだみつなり)らに反目していたことから東軍(徳川軍)として戦った。

その後、移封された広島城において、台風による水害で本丸、二の丸、三の丸の石垣を無断で修繕したことが、武家諸法度(ぶけしょはっと)違反として咎められ、それを口実にした幕府側の処断により、信濃川中島(しなの かわなかじま)四郡中の高井郡と越後魚沼郡(えちごうおぬまぐん)の4万5千石(高井野藩といった)に減転封(げんてんぽう)された。
福島正則は嫡男である福島忠勝(ふくしまただかつ)に家督を譲り隠居した。
そして出家し、法号を高斎(こうさい)と号した。

※ 屋敷跡石垣

元和6年(1620年)福島忠勝が早世したため、福島正則は2万5千石を返上した。
高井野(現 高山村)に陣屋を構え、検地、治山、治水、新田開発を行い善政をしいた。

※ 高井寺

寛永元年(1624年)64歳で死去。

住居跡には高井寺が建っている。

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