首里城

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令和元年10月31日未明火災が発生し、正殿、北殿、南殿などが全焼した。
このニュースを見たとき、耳と目を疑った。
9.11ニューヨークの世界貿易センタービルに飛行機が衝突した映像以来の衝撃的な映像であった。
先日、フランスのノートルダム寺院が火災に遭うというとても衝撃的な出来事を目にしたばかり。
人類にとってとても大事な大事な建造物を失うことは本当に心が痛い。
韓国の南大門(崇礼門)を焼失した事件も記憶に新しいが、これらすべて管理する側の甘さが問題だったのではないかと私は考えている。

首里城で言えば、そもそも世界遺産に指定されている貴重な建物を饗応の場として晩餐会場に使用するなどもってのほかであり、今回のようにイベントなど正殿を使用して行う必要があったのだろうか。
明らかに今回の首里城焼失は人災である。
なぜスプリンクラーを設置していなかったのか、警備員はなぜ初期消火ができなかったのか、警備員の日頃の訓練は万全だったのか、悔やまれて、悲しくて、怒りを抑えられない。

そもそも米国に爆撃で壊されたことも大問題だと思っているが、琉球王国というひとつの独立国家の貴重な建物を二度も失うとは悲しすぎるではないか。
私は幸いにも3回首里城を訪れ、御殿の中に入ったことがあり、その素晴らしさはしっかり脳裏に焼き付いている。
和中折衷の琉球独特な文化の集大成である首里城は、明らかに日本の城とは違う。
むしろ朝鮮の城に近いと言っていい。
石垣の美しい曲線美と石積みは、正にそれを物語っている。

琉球三山時代(北山、中山、南山に国が分かれていた時代)の中山の城であった。
尚巴志(しょう はし)が三山を統一して琉球統一王朝をたて、首里城を王家の居城とした。
以来、第二尚氏王朝(第一尚氏王統最後の王、尚泰久(しょう たいきゅう)の重臣、金丸(かねまる)が尚泰久王の子尚徳(しょう とく)王にかわって王位につき、尚円(しょう えん)王と名乗ったことからはじまる)最後の王 尚泰(しょう たい)まで王府として政治の中心であった。

再建が必要であるか否か、それは今後検討の必要があると思うが、再建されるならば、今度はしっかりと防火防災対策を施して欲しい。
そして管理体制、警備員の教育を徹底して欲しい。
関係者は責任を以て管理して欲しい。

首里城だけでなく、全ての遺産(国宝、重要文化財含め)に対しても同じことが言える。

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