情緒ある戦国の城 松本城

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松本城は、長野県松本市にある国宝の城である。
信州国守護、小笠原氏の居城であった。
別名を深志城ともいう。
元々この辺りを深志と言い、室町時代にこの深志郷を統治していた坂西氏の居館があった。
永正元年(1504年)その後、島立氏が深志城を築城したと言われている。

林城を居城としていた小笠原長時(おがさわら ながとき)が武田信玄によって追い出されると、北信濃侵攻の拠点として深志城が戦線拠点となった。
武田時代には城代が置かれ、武田家滅亡後は木曽義昌が入り、その後、上杉景勝(うえすぎかげかつ)の後ろ盾を以て小笠原家が奪還した。
その後、徳川家の家臣 水野家が入城したが、天正15年には転封した。
豊臣秀吉の命により、石川数正が入城し天守閣を建て、城内城下の整備を行った。
以降、小笠原氏(再入城)、戸田氏、松平出羽守(まつだいらでわのかみ)、堀田氏、水野氏、そして明治維新まで戸田氏六万石となり、廃藩置県を迎えた。

戦国時代から平城として役目を果たし、広大な縄張りによって城郭を堅固なものとし、本丸、二の丸に広大な御殿を有していた立派な城であった。
しかも天守閣は、大天守、小天守、櫓による連立天守にして、江戸時代は文禄年間に建てられ、現在に至っている大事な文化遺産である。

松本城の素晴らしいところは、天守に連なる月見櫓という風雅な建物があるところだ。
三法を朱の勾欄(こうらん)を施した回縁が巡り、趣のある風景を映し出している。
他の城には見られない泰平の世の風流を感じさせる美しい造りになっている。
戸(舞良戸)を外し、月を愛でたのであろう。

松本城の別名を烏城(からすじょう)と言った。
壁が黒いから烏という訳だが、黒い城など沢山あるわけで、まあ大体松本城以外の黒い城も烏と名が付いた。
岡山城は烏城(うじょう)といった。
ちなみに、真っ白な姫路城は白鷺城(しらさぎじょう)という別名があった。

松本城のみならず、現代に残る城は、今よりももっと城の縄張りは広く、現在の市街地の大半は城内であった。
多くの城の濠(堀)は大抵内堀しか残っていないが、その周りには外堀があった。
多くの場合は埋め立てられてしまい影も形もないが。
その外堀から内側が城内である。

江戸城で言うと、外堀通りから江戸城内ということになる。
膨大な広さだ。

伊達政宗が築城した仙台城(青葉城)などは、自然の要害を生かした広大な敷地である。
今でこそ本丸まで容易に行くことが出来るが、昔は城下から本丸まで行くには2日ぐらいかかったのではないだろうか。
そんなように思ってしまうほどの広大さだ。
伊達氏の勢いをひしひしと感じる。

信州松本の松本城は上述の通り国宝だ。
天守閣は江戸時代から存在する貴重な建造物である。

ぜひ足を運んでいただきたい。

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