徳川将軍家の居城、江戸幕府の中央政庁、そして現在では天皇がお住まいになられている皇居、それが江戸城だ。
江戸城は別名を千代田城という。
そもそもは、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて江戸氏の居城があった。その後、麹町台地の末端に太田道灌(おおた どうかん)が築いた平山城である。
徳川家康が江戸に入封し、江戸城に入り拡張し、本丸、二の丸、三の丸、西の丸、北の丸と縄張りを広げた。
徳川将軍家の居城として、全国の諸大名に普請させ、現在のJV工事のように大名家ごとに工区を分けた。
石垣を見ると、担当した大名家の印が彫られている。
本丸には日本最大の天守閣と豪壮な御殿があり、そこが将軍の住まいであり、幕府の政庁として機能していた。
本丸御殿は表という政庁、中奥という将軍家の居住空間、大奥と呼ばれる将軍の正室や側室、子供たちの住まいがあり、多くの女中たちが居住していた。
ここは将軍以外、男子禁制であった。
江戸城の天守閣は、明暦3年(1657年)に発生した明暦の大火で全焼。
それ以降再建されることはなく、現在に至っている。また、本丸御殿は度々火災に遭い、文久3年(1863年)の焼失以降再建されることはなかった。
本丸御殿の機能を西の丸御殿に移し明治を迎え、明治天皇が入城されてから宮城と呼ばれ、皇城となったのである。