徳川幕府時代の統治機構は非常に優れていた。
その証拠に徳川幕府約三百年間、大きな戦はなく(初期と末期にはあったが)、大きな犯罪も発生せず、発生しても直ちに解決した。
さらに、鎖国は保たれ、諸外国に攻め込まれることもなかった。
どれだけ平和であったかがわかる。
そうでなければ多くの文化が生まれなかっただろう。
参勤交代という素晴らしい制度は謀反や反乱を抑止し、戦乱の世に再び戻らないために大いに役立った。
そして親藩、譜代、外様など各大名の配置にも絶妙な手法を用い、足利幕府時代の大名家を高家として抱え込み、戦国期に敵対していた大名家であっても重用したり、お家再興を行った。
災害にも迅速に対応し、民の暮らしの復興に力を注いだ。
江戸城の御金蔵は、江戸時代中期には既に空だったという。
江戸の町は当時のロンドンを凌ぐ大都市であった。
この大都市の治安を南北両奉行所合わせてたったの24人の同心で守っていた。(時代によっては一時的に中町奉行所が置かれたこともあった)
ただ、奉行所だけではなく、御先手組による武装警察組織である火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)、目明し(めあかし)、町火消や町役人等民間の自警団体も大いに活躍した。
江戸時代は身分制度が厳しい暗い時代であったと一般には思われがちだが、それは明治新政府を作った者達の都合で作り上げられた話である。