善光寺は天台宗と浄土宗の大本山であり、天台宗は大勧進、浄土宗は大本願がそれぞれ善光寺の運営にあたっている。
善光寺のご本尊は、一光三尊阿弥陀如来であり、善光寺創建より約4千年間お祀りされている。
このご本尊様は、インドから百済(くだら)を経由して渡ってきた。西暦522年仏教伝来と共に渡ってきた日本最古の仏像である。
当時、崇仏・廃物論争の中、物部氏により難波の堀江へと打ち捨てられた。後に信濃国司(こくし・くにのつかさ)の従者として都に上がった本田善光(ほんだ よしみつ)が光に導かれて打ち捨てられたご本尊様を拾い上げ信濃へお連れし、当初は飯田にお祀りされ、その後、西暦642年に本田善光の名を取って『善光寺』と名付けられた。
創建以来十数回の火災に遭い、その都度復興され、現在の長野市に移転した。
善光寺の御本尊様、一光三尊阿弥陀如来は秘仏だということをご存知だろうか。ちなみに一光三尊とは、ひとつの光背の中に中央に阿弥陀如来、向かって右側に観音菩薩、左側に勢至菩薩がお立ちになっている。
秘仏とは、絶対に人目に触れてはならない、表にお出ましに出られることなくお厨子の中に隠されておられる仏様のことである。
御開帳(七年に一度)の際に、この秘仏のご本尊様に似せて造られた仏像をお厨子から出して、そのお手と本堂前に建てられた前立ご本尊の木の柱を紐で結び、その木の柱に触れることでご本尊様と結縁をいただくのである。
ただ、真実は少々違っており、古代朝廷の牧の管理者であった物部守屋の首を祀って鎮魂する目的で建てられたものであるとの説がある。
蘇我馬子(そがのうまこ)と戦に敗れた物部守屋(もののべのもりや)の怨霊を鎮魂するために建てられたというのだ。しかも本堂の真下には物部守屋の首が納められており、その上の柱を守屋柱という。
善光寺本堂下の真っ暗な回廊を歩き、錠に触れると阿弥陀様と御縁を結ぶことができると言われている。
その場所は物部守屋の首が納められている場所であり、そこは今でも封印され、そして今でも鎮魂の儀式が行われているのだ。
また、善光寺周辺は朝鮮系渡来人の居住地であり、朝鮮系渡来人たちの手によって建てられたのが善光寺であるという説がある。
善光寺の御本尊が百済仏であることや、本田善光とは渡来人秦河勝(はた かわかつ)のことではないかと唱える研究者もいる。
歴史とは一言では語りつくせぬもの、不可思議なことが山ほどある。今まで書いてきたことも然りだが、定説だと思っていた上杉謙信は男ではなく女だった、徳川家康は大阪攻めで討死し、以降は影武者であった、聖徳太子は未来人で法隆寺の夢殿はタイムマシーンである等々。
真の歴史などというものは、その時代に生きていた当事者しか知る由もないこと、現代の我々が知る歴史は憶測でしかない。
文書に書かれてあったとしても、それぞれの著者の都合の良いように記されてあり、信憑性に欠けるものが多い。
歴史とはロマンであり、ロマンに留めておいた方が良いのかも知れない。
戦時中や戦後の数十年前の歴史ですら不明なことが多いどころか、その時代に生きた方々が現在生きておられても、不明なことや謎が多いのだから。
兎にも角にも、善光寺には一度はお詣りに行くべきであろう。昔から、牛にひかれて善光寺まいり、というではないか。
善光寺は宗派を問わずに参詣できる寺院である。
浄土真宗の開祖である親鸞聖人も、時宗の開祖である一遍上人も参詣された善光寺だ。