美しい岡山城の天守閣は、残念ながら昭和41年に再建されたものである。漆黒の美しい城なのに本当に残念に思う。
朝日川を自然の濠として活用した縄張りの広い堂々とした城だ。
岡山城は豊臣秀吉の身内同然であった宇喜田秀家(うきた ひでいえ)が8年の歳月を費やして築城された。
関ヶ原の合戦後、秀家は八丈島に配流(はいる:島流しのこと)となり、その後、小早川秀秋(こばやかわ ひであき)が入城し、西側を拡張し、外堀を設けた。
小早川秀秋の後、池田輝政(いけだ てるまさ)の孫、池田光政(いけだ みつまさ)が入城し、明治維新を迎える。
月見櫓(つきみやぐら)、西の丸西手櫓(にしのまるにしてやぐら)は当時の建物であり、重要文化財に指定されている。
天守閣の壁が黒かったため、烏城(うじょう)とも呼ばれていた。
一部、宇喜田時代の石垣を見ることが出来る。
しかし、昭和20年6月29日にアメリカ軍による岡山空襲で、国宝だった天守や石山門等が焼失したことは残念この上ない。
終戦まであと僅かであったのに。
天守台の石垣は、その堂々とした風貌からゾクゾクする、何とも言えない曲線美がある。