蜂須賀小六の居城「阿波徳島城」

※太平洋戦争中に焼失し、復元された鷺之門(元々は現在地と違う場所にあった)
※徳島城本丸跡
※徳島城石垣

阿波(アワ)国徳島にある徳島城、別名を渭津城(イズジョウ)、寺島城という。
渭山(猪山)という城山に築かれた山城と城山周囲の平城からなる平山城である。
元々は文永9年(1272年)この地の地頭河野氏によって築かれた。

天正13年(1585年)、野盗の野武士集団の頭目であったといわれる蜂須賀正勝(小六)の子、蜂須賀家政が阿波一国18万6000石で入封し、当初は徳島市西部にあった一宮城に入城するも、天正14年(1586年)に改めて規模を拡大して築造した徳島城に入城し、明治維新まで徳島藩蜂須賀家25万石の居城として続いた。

明治6年(1873年)に明治新政府により発布された廃城令により処分され、鷲之門を除く御三階櫓以下、城内全ての建築物が破却された。
その後、明治38年(1905年)日露戦争の戦勝を記念して、1906年徳島公園として開設された。
旧御花畠は、幕末に練兵場となり、1889年徳島監獄署が置かれた。

この城の特殊なところは、元々の天守閣は既に元和年間(1615年~1624年)に取り壊されており、その後城山中腹にある東二の丸に天守の代用として御三階櫓が建てられた。
本丸より段下の東二の丸になぜ建てられたかは謎である。
現在は鷲の門のみが復元されているが、その他の建物殿舎はまったく残っていない。
山頂の本丸などは閑散としていて城跡とは思えないほどの荒れた状態だと感じた。
いま残るのは石垣だけである。

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