邪馬台国と言えば、女王卑弥呼が統治した古代の王国であり、未だその王国が存在した場所と女王卑弥呼が実在したか否かは不明のままである。
一般的には九州にあったのではないか、と言われているが定かではない。
そもそも歴史というものは、その時代に生きていた者、権力者によって書き換えられ、存在していないものを存在したと記し、存在したものを存在しなかったと記すものなのだ。
江戸時代に幕府が作成した全国の大名家の出自や家柄、参勤時の行列の仕様、家紋が記された、寛政重修諸家譜などは、ほぼすべての家は源平藤橘が出自であると記されているが、半分以上は捏造されている。
全ての家が源氏、平氏、藤原、橘であるわけがない。
阿波(徳島県)の大名であった蜂須賀家が山賊の頭目の末裔と言われているように、大抵の家は出自も分からぬ身分なのだ。

さて、実は、四国は阿波に、邪馬台国(邪馬臺國)が存在し、女王卑弥呼のお墓も実在すると言われている。
ちなみに、新漢字で書くと邪馬台国だが、旧字体で書くと邪馬臺國だ。臺という字は壱の旧字体『壹』に似ている。
実は魏志倭人伝を見ると、邪馬壹國(ヤマイチコク / ヤマイコク)と記されている。
邪馬台国(ヤマタイコク)は誤りで、邪馬壱国(ヤマイコク)と本来は読むべきなのだろう。

卑弥呼のお墓と言われているものは、徳島県国府町の八倉比賣神社(ヤクラヒメジンジャ)にある。
八倉比賣神社の御祭神は、八倉比売命(ヤクラヒメノミコト)であり、八倉比売命は女神であり、天照大神(アマテラスオオミカミ)のことでもある。
別名を大日孁命(オオヒルメノミコト)という。
太陽を象徴する神であり、皇室の祖先とされている神であるが、仏教の最高神 大日如来(別名 毘盧遮那如来)と共通するものがある。
世界の宗教の最高神は太陽、宇宙を象徴していることから、それぞれの神々は方便であり、神の存在を分かりやすくするために人間が命名したに過ぎない。
やはり唯一神はただおひとりであり、神はひとつであると考える。
つまり、仏教、神道、イスラム教、キリスト教、ヒンズー教にはそれぞれに最高神が立てられているが、宗教によって都合よく神が存在するのではない、お一人の神を人間がそれぞれの宗教の最高神として名を変えてお祀りしているだけだ。

少々脱線してしまったので、話を元に戻そう。

そう、この八倉比賣神社の御神体となっている裏手の山の少し階段を上がったところに、写真の通り石造り五角形の祭壇がある。
これが天照大神のお墓であると言い伝えられているが、実はこれが卑弥呼の墓だというのだ。
お墓なのか、別の場所に葬られている方の祭祀を行う祭壇なのか定かでないが、私は、この五角形の形状はダビデの紋章である五芒星、石組みの形状から推察するにユダヤとの関りがあるのではないかと思う。
直ぐ近くには、古代ユダヤの祭祀場と言われる遺跡が存在しているのだから、十分に考えられることだと思う。

天照大神とは、実は卑弥呼のことで、卑弥呼とはユダヤの司祭もしくは王家の一族だったのではないだろうか。
それ故に天照大神がお祀りされている伊勢神宮には五芒星、ダビデの王家の紋章(カゴメ)の紋章が見られるのか。
天皇家の祖先はユダヤだと確信し、とある宮家の宮様はお亡くなりになるまでユダヤのしきたりや生活習慣に則って普段の生活を送られていたという。

本来の古代ユダヤ人は東洋系の容姿であり、日本人に極似していたという。
ルーツはユダヤにあるのではなく、超古代に日本人が世界に散った、その日本人がユダヤ人となって祖国に戻ってきた。
そういうことかも知れない。

阿波は国のはじまりであり、天皇家は阿波におられた。
阿波から淡路島(阿波路島)を経て奈良を都に定められた。
今でも阿波の山中には、ユダヤ人レビ族(祭祀を司っていた一族)の末裔、忌部(インベ)一族が住んでおり、約2千年以上もの間、ユダヤ関連の神社や宝物を守っている。
そして、皇太子が天皇に即位したときに行われる大嘗祭で天皇がご着用される大麻の織物を、この阿波忌部族の三木家が代々作っており、この阿波忌部氏が作る大麻の織物のみしか許されない。

忌部氏については、また別の機会にお話したいと思うが、ここでは控えておく。

四国の力は強大すぎるため、弘法大師は四国各地に霊場をおつくりになり、結界をはって封印し、死国としたのである。