当たり前が当たり前でなくなるとき

当たり前に3食の食事が出来、当たり前に蛇口をひねれば水やお湯が出て、当たり前にスイッチひとつで電気が点き、当たり前に車が走って、当たり前に電車やバスなどの公共交通機関が運行し、当たり前に紙や消毒液が買え、当たり前にトイレを流すことができ、当たり前にテレビをみることができ、当たり前に朝、職場や学校に通勤通学して、当たり前のことが当たり前でなくなることが起こる。
地震や津波で、見慣れた当たり前の風景が一変してしまうこともある。

いつもの生活、当たり前だと思っている日常、それが一変する事象が時々発生し、あたり前の有難さを身に染みて感じることがあるだろう。
最近で言えば東日本大震災、大雨による災害、武漢肺炎など、これらによって生活は一変したのではないだろうか。
水、マスク、米、パン、即席麺、消毒液、アルコールシートなどが一時的に店頭から姿を消した。

当たり前に、不自由なく買えていたものが手に入らなくなる恐怖、それと同じことは東日本大震災の時も起こった。
あたり前の日常が、常にあたり前にあるのだと思ってはいけない。
いつ何が原因で非日常に陥るかわからないのだ。
常に何が起こっても動じない覚悟と備蓄をしておくことが大事だと思う。

東日本大震災のときを教訓に、マスク、消毒液、紙類、米、水を常時一定量備蓄していた人たちがおられたが、そういう人たちは強かった、一切動じず、不足している人達に配ってくれていた。

つまり、これらのことは危機管理(シビリアンコントロール)という。
いつ、いかなる時も有事に備えておくことが大切であり、平時にこそ手厚く準備を整えておくことが大事である。

災害はいつ起こるかわからない、自分たちの身や生活の安全は平時にこそ築いておかなければならない。

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