明治天皇の御心や如何に

明治天皇は維新の志士と言われている輩(やから)に、すぐに京に戻って来ることができるからと騙されて江戸に下向されたのだが、結局、薨(みまか)られるまで京にはお戻りになれなかった。
住み慣れた京から無理やり連れて来られ、さぞお辛く悲しく淋しかったであろうと、心中をお察しすると忍びない。
お可哀想であったと切ない気持ちでいっぱいになってしまう。
しかも、恐ろしいことに天皇が東京に移られても都は移されていない、つまり現在に至るまで遷都(せんと)されていないのだ。
都、つまり首都は未だ京都であるということだ。

天皇を無理やり東京に連れ出した挙句、都を移すこともせず現在に至っていることは驚くばかりだ。
法的に東京を首都と定めていないということは、いずれは天皇を京都にお戻しあそばされるということか?
政府はどのように考えているのだろう。

明治天皇も生前、京にお帰りできなかったが、崩御(ほうぎょ)されてからのご神体は京都にお戻りになられ桃山御陵(ももやまごりょう)に葬られた。
残念ではあるが、それだけでも少しは救いである。
ちなみに、大正天皇、貞明皇后(ていめいこうごう)は八王子の多摩御陵、昭和天皇、香淳皇后(こうじゅんこうごう)はやはり同じく八王子の同敷地内の武蔵野御陵に葬られておられる。
尚、一般的には両御陵を併せ総称して武蔵野御陵と呼ばれる。

朝九時から開門し、誰でも参拝に訪れることができる。
時にはお誘い合って散歩がてら参拝に訪れてみてはいかがだろうか。

天皇は東京に出張中であられる。
早く京の都にお戻りできることを心より念じている。

そのためには、早く京都にお住まいなれる御所を建設する必要がある。
現在の京都御所は儀式には使えるが、お住まいになられるにはご不便であろうし、何より京都の厳しい冬をお過しになるには寒すぎるのではないだろうか。

東京の現在の皇居並みに、居住できる御所がなければ京都へお戻りにはなれますまい。

しかし、岩倉具視は本当の悪人だと思う。
勝手に偽の錦旗をつくり、薩摩をたぶらかし、天皇を東京に連れ去り、せっかく慶喜さんが大政奉還し、禅譲しようとしたにも関わらず、この日本を戦争に巻き込んだのも岩倉具視である。
岩倉具視が五百円札になるなど由々しきことなのだ。

私から見れば岩倉具視を遠ざけた孝明天皇は心がある本当の帝王であったと思う。
明治帝がまだ幼いのをいいことに朝廷を我が物顔で操った岩倉は国賊である。

利用する方もする方だが、大久保利通も随分焦り過ぎた。
だからあんな死に方をすることになった。
やることが早過ぎたな。
何事もそうだが、進めることが早過ぎると必ずどこかで歪が生じるものだ。
つまりそれは手抜きだ。

明治維新は手抜き工事の賜物だった。
だから最初は一旦ガタガタと崩れ落ち、明治新政府は立ち行かなくなったわけだ。
で、結局ベテランの徳川幕府旧臣の力を頼って復活したようなものだ。

天皇家をいただいた日本国は、天皇陛下を中心とした国家を造らねばならない。
天皇陛下の弥栄を心よりお祈りするばかりである。

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