「あやかし」の正体

「あやかし」などと言うと何だかおどろおどろしいが、そういった類のものがこの世には確かに存在する。
幽霊や妖怪とは少々違い、古い幽霊が時間を経て妖怪化したものだと考えるのが一般的なようである。
人間に憑りつき、困らせ、恐怖を与える存在だ。
たとえば座敷童(ざしきわらし)、化け猫、トイレの花子さんや太郎くん、河童、のっぺらぼう、ろくろ首などがそうであろうか。

長きにわたり人間と共存しながら、遠い昔から恐れられ、時には富をもたらす存在にもなる。
これらは幽霊でも妖怪でもない、あやかし以外のなにものでもない。

あやかしは、我々のすぐそばにいつもいる。
向こうから見えているが、こちらからは見えない。
古の人々は日の出と共に起き、火の入りと共に床に就き、また、灯りがあっても一部を照らす炎しかなかった、つまり人間は自然と一体化して生活していたのである。
つまり、夜は暗いからあやかしの出番も多かったわけだ。
自然を畏れ、神を畏れ、あやかしをを畏れつつも、うまく共存していたことは見習うところがあるのではないだろうか。

柳田國男先生の遠野物語に出て来るあやかしはただの創作ではない、火のない所に煙は立たずで、実際に遭遇した人たちから聞いた話を記録したものだ。

さて、このあやかし、つまりは永いあいだ成仏できずにいる霊であり、悲しい存在なのだが、最早成仏のし方も、迎えに来た霊の存在にも気付かず、ひたすらこの人間界に残した後悔から逃れられないでいる存在なのだ。
河童などはどちらかというとあやかしや妖怪ではなく、生物的なものなのではないかと思うのだが、もしかするとスッポンや亀の精なのかも知れない。

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