学校の在り方と現代社会

明治以降、日本の学制が導入され、義務教育化され、今まで多くの日本人は読み書きが出来なかったのだが、識字率が一気に上がり、読み書きが出来るようになり、算学も強くなった。
だが、現在はどうだろう、学業が当たり前になり、折角与えられているこの学べる機会を無駄にしてしまっている人達がいる。
その昔は学びたくても学べなかった人々が多かったというのに。

学びの機会というのは、実は当たり前のように思えて本当は当たり前ではない。
学問を受けたくても受けられない人たちが昔は大勢いた。
むしろそれが当たり前であったのだ。

識字率は下がり、中国・朝鮮より全体の学力は著しく低下すると思うが、学びたい者だけ学べばよい。
江戸時代のように一般市民は寺子屋に通い、武士の子弟も藩校に通っていた、義務ではなかったから、学びたい者だけが通っていた。
故に真剣である。
学びたい者だけが集まっているのだから。
そう、学校とは学ぶところなのだ。
学問を吸収するところなのである。
学びたくない者が来るところではない、学びに来ている者の足を引っ張っているだけではないか。

躾などは本来家庭で行うこと、学校に任せてどうする。
また、学校は不良の矯正施設ではない。

江戸時代以前のように、学舎としての本来の役目に、戻る事を心から期待している。
嫌なら行かなければよい。

学校とは勉強をする学び舎(まなびや)である。
友達を作ることや、部活動などは付随するものであって、本来やるべきことではない。
純粋に勉強をする場所なのだ。

教師は威厳を以て、先生として子弟を導き、学問を教える。
父兄が何と言おうと左右されるべきではないのだ。

本当に最近は父兄が五月蠅すぎる。
家庭で教師の悪口を子供に話し、それを聞いた子供は教師を尊敬しなくなる。
何と言っても子供は親の言うことが一番であり、神の声に等しい。
疑うことなどしないであろう。

子供が教師を尊敬しなくなる、そのまま大人になり社会に出て年長者に対しても敬うことを知らずに年ばかり取ることになる。
必然的に社会の秩序は乱れることになる。

そう、これが現代社会なのだ。

家庭のあり方、子育て、親の責任は非常に大事だということだ。
親は教師を敬うことを教えなければならない。

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