縄文時代と弥生時代

縄文時代(じょうもんじだい)、弥生時代(やよいじだい)という時代があったわけではない。
日本の古代史における土器の発掘状況から時代区分、つまり文化の変節を明確にするためにあてられたに過ぎない。

縄文時代とは、土器の形状が単体で置いたら安定しない、つまり穴などを掘って固定しないと倒れてしまうもので、その模様が縄を巻いて付けたような文様であることからそう呼ばれるようになった。

弥生時代とは、今でいう壺型土器、つまり単体独立型で、置いても倒れない土器が発掘された時代で、その時期に稲作が始まったとされている。
それが東京都の文京区弥生(旧 東京府本郷区向ヶ岡弥生町(明治17年))の貝塚で発見されたことから弥生と呼ばれるようになった。

縄文時代の日本人は、どちらかというと狩猟を中心とした生活をしており、村などの集落として集団生活を行っていたわけではなく、家族や一族単位の集団生活であったと思われる。
また、この頃の倭人(日本人)は、現日本人と呼ばれる彫の深い顔立ち、アイヌ人や沖縄人のような顔立ちであった。
アイヌ人と沖縄人はDNAが同じであるらしい。
既に縄文時代から稲作が行われていたことは明らかになっている。

弥生時代には朝鮮半島や、中国、ヨーロッパなどから渡来人が大勢来島し、一度失われた文化をもって住み着いた。
この中で、主に朝鮮半島や中国大陸から渡ってきた者が多かったため、ノッペリ顔が増加した。
やはり、弥生時代の倭人のDNAは、東アジア大陸系のようである。

今でも彫の深い顔立ちで、眉毛が濃く、眉毛と瞼の感覚が短く、鼻が高い日本人がおり、欧米系のハーフではない生粋の日本人はでそういう方々がいる。
この方々がつまり縄文人、原日本人なのである。

非常に興味深いことである。

そして、もっと面白いことは、日本人の記憶には弥生時代以降、つまり農耕を行うようになって以降しかないのではないかと思うのである。
よく、日本人は古来より農耕民族だったから肉食はしていなかったと言われるが、それは違う。
狩猟と農耕の両方を既に行っていた縄文時代以前のことを忘れている。

狩猟採集を行い、山では兎、熊、狸、鹿、猪、猿、犬、狼、狐、牛、朱鷺(トキ)、鶴、鳩、雀、鸛(コウノトリ)、烏などを食していた。
海や川では、鯨、鮫、海豚、鯔(トド)、海驢(アシカ)、オットセイ、鯱(シャチ)、鮪(マグロ)、鯉、鰻、鯰(ナマズ)、泥鰌(ドジョウ)、蛇や蛙、鮭に鱒、河豚(フグ)や貝類等々を食していた。
現に、縄文時代やそれ以前の貝塚等の地層から骨や貝殻が発掘されている。

そして、更に農耕も行われ、米や粟、稗、麦、ドングリや栗、栩(トチ)や芋などを栽培していた。
住居跡などから炭化した実や、土器から籾が発見されている。

教科書は書き換えられているだろうか?
未だに縄文時代や弥生時代の区分が誤りのままであろうか?

歴史は日々新たなる発見があり定説は覆されている。
なぜ日本人は事実を事実として受け入れないのだろうか。
石頭の頑固オヤジたちめ!

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