山は山であって山ではない。
山は生きていて、どの山にも山神様がおられる。
古代自然信仰に基く考え方だが、古代人類は海、山、空、石、砂、草木、川のみならず、井戸、竈、家など、全てありとあらゆるものに神が宿っていると考えられていた。
神に対する畏れは信仰となった。

さて、山には山の神がおられる。おられると言うより、山それ自体が神なのである。
富士山、浅間山、御嶽山等々有名な山も有名でない山も、山がご神体でり、山そのものが神様なのだ。
つまり山は生きている。

太古より山に登るということは、神様の頭を土足で踏みつけて登る大変失礼な行為であった。
それは今でも変わりない。
山に登るには山神様の許しを乞う必要があり、本来であれば身を清めて山の麓のお堂に籠って入山の行をおこなってから初めて登山が許された。
特別な山は一般人にすら解放されず、山伏等修験者や特別に入山を許された者のみしか立ち入ることのできない場所もあった。
これは人が決めたことではなく、神との契約によるものだったのだ。
ところが今はどうだろう、女人禁制が破られ女性が入山し、一般の国内外の者たちが大挙して押し寄せ、神様の頭を踏みつけている。
神様がお許しになっていない者達が大勢勝手に入山している。
女性蔑視反対、観光誘致、そんな名目で古来神との契約を破ってしまっているのだ。

山の神は怒っておられる。
それ故に山の遭難、噴火による犠牲、地崩れ等により多くの人命が失われる結果になっている。
山は本来、人を寄せ付けたくないのである。
登山など以ての外だ。

山で遭難し、命からがら助かった人の中には、はっきりと『二度と来るな』という声を聞いたとことがあるのだという。
私は明らかに山の神の声だと思っている。
トレッキングが流行り、老若男女問わず山に入っているが、私は反対だ。
山は畏れるものであって登るものではない。
崇拝の対象であり、ご神体である。

この世の中には信じられないことが沢山ある。
だが、確実に信じられないことは現実に事象として発生するのだ。
自然には畏れを以て接し、決して奢ってはならない。常に謙虚でなければならないと思う。