昔から性に寛大な日本

世界中で性の多様化が叫ばれている昨今、我が国では遠い昔から既に性の多様性を受け入れていた。
意外だと思うかもしれないが、社会の中に当たり前に存在しており、受け入れられていたのである。明治維新以降、西洋文化が取り入れられると同時に、もともと日本にあった文化は否定の対象になったと言い切っても良いであろう。
最近は自らの性を主張し、性同一性障害であるとか、同性愛者であるとか、それを親族や社会に宣言し、カミングアウトをして周囲の理解を得ようとしている。
敢えてカミングアウトする必要はあるのか、周囲に公表し、理解を得られないと被害者ぶって理解してくれない者の方が問題であるかのような風潮があるが、理解を得ようとする者同様に性同一性障害や同性愛に否定的な者の主張や存在も同じように受け入れられるべきではないだろうか。
いずれも押し付けであってはならない。

前世において女性だった男性は女性的であり、男性だった女性は男性的なのである。前世の記憶が抜け切れていない者は、やはり現世の性に違和感を持つのは当たり前である。
前世に男性だからと言って現世でも男性とは限らない、その逆も然りだ。
ちなみに、男女の性の選択は、霊界における自身の選択によるのである。

我が国に於いては少なくとも古墳時代から同性愛は存在し、また男性が女装をしたり、女性が男装をしたりということは一般的にあった。
特に皇族や貴族、神官や僧侶の中では最も盛んであり、それは趣味というよりは慣習であったと言った方がよかろう。
特に女人禁制や女性との交わりを禁止された世界では男性との交わりは必然であった。

戦国時代になると命のやり取りとなる戦場に女性を連れては行けないため、寵童と呼ばれる美童を同伴していたこともあり、また家臣との信頼の絆を築くため肉体関係で結ばれ、正に裸の付き合いの中に絶対的な信頼と、絶対的な主従関係が結ばれていた。
歴史的に有名な話では、織田信長と前田利家、森蘭丸、武田信玄と高坂弾正、徳川家康と井伊直政などがあり、何れも主君に寵愛された者は異例の出世を遂げている。
戦国武将の男性に対する恋文が多数残されていることからも証明されている。
江戸時代になると男色を衆道と呼び、これまた特に武家社会では盛んであった。
大名家では女性と円滑に交わりが進み、後継者をつくりお家断絶を防ぐため、まずは小姓との性交を行わせることが一般的であった。
中には三代将軍徳川家光のように男色に傾倒してしまい、女性との性交が困難になってしまうことも間々見られたようである。

武家社会の衆道は、江戸中期には益々盛んになり、幕府執行部から衆道を控えるようお達しが出たこともある。
この頃には町人の間でも衆道が盛んで、江戸市中には衆道版色街があったほどだ。

日本には当たり前の存在として衆道があった。
少なくとも明治維新までは。
同性愛に否定的な西洋文明流入と共に、文化として社会に根付いていた同性愛が否定されることになったのだ。
我が国は元々世界でも類稀な性に寛大な開かれた文化が存在していたのである。

江戸時代が封建的な暗く貧しい社会であったなどということは、明治新政府がでっち上げたエセ情報にほかならない。
色々な文化が花開いた平和で住みよい江戸時代から、薩長土佐でつくり上げた売国奴政府である明治新政府に目を向けさせ、徳川幕府時代を回顧させないためのキャンペーンを展開したということだ。
明治新政府は人民によって立ち上がった政府ではない。為政者である武士によって、しかも外様大名家の武士らによって馬鹿な公家がそそのかされて、偽の錦旗を掲げた逆賊たちの手で立ち上げられた虚構に満ちた政府であったことを知るべきである。
明治新政府は正に烏合の衆であったため、国家としての体面を維持できず、国家運営が困難に陥り、結局政権を担っていた旧幕府の幕閣中枢の役人や下級役人を大量に採用し、やっと世界に通用する国家を構築できたのである。

何より明治天皇を一時的な下向としてお連れ遊ばし、明治天皇が京にお戻りになりたかった御心をにじり潰し、騙した維新の志士などと呼ばれている逆賊たちのしたことは大罪ではないか。

日本国民は真実に目を向け、真実を知るべきである。

タイトルとURLをコピーしました