辛く苦しいのは自分だけではない

どうして自分だけ、何で自分だけがこんな目に遭うのか、きっと何かあるとみんなそう思ってしまうのではないだろうか。
しかも、ちょっとすりむいたり、ほんの少し小さな棘が刺さってもそう思うのではないだろうか。
大小あれ、自分に降りかかる負の事象に対しては「どうして自分だけが・・・・」と考えてしまうだろう。

周りを見てみると、目に映る他の人たちは何事もなく、悩みもなく、病気も家庭の事情もなく、順調に幸せに人生を歩んでいるように見えてしまうものだ。
でも、本当にそうだろうか?多かれ少なかれ人間はみな悩みや苦しみや病気を抱えているものだ。
傍からしか人を見ていないから当然わかる由もない。
だが、どうだろう、人というものは付き合いが深くなるにつれ、相手の闇が見えて来るものではないだろうか。
金欠、借金等、子供が引き籠り、神経痛、癌、高血圧、糖尿病、家族崩壊、親の死等々それらも知り得ることとなり、自分だけが苦しんでいる訳ではなかったのだと安堵するのではないだろうか。

でも実際そうなのだ、自分だけが特殊なのではない、みんなそれぞれ特殊な事情を抱えているのが現実、皆何事もないような顔をしているだけだ。
だから安心して欲しい。
また、誰にでも闇、若しくは負の部分があって当然なのだ。
なぜか、それはこの世が人間道場(魂の学校)であり、修行の場だからである。
辛くて当たり前、苦しくて当たり前、理不尽で当たり前、それがこの世界だ。

この苦娑婆で明るく、元気に、楽しく、笑って生き、決して腐ってはならない。
そして、苦で当たり前、ここは道場だと腹をくくれば前向きに前進できるではないか。

この世の中は、辛く、悲しく、苦しく、嫌なことばかりで、楽しく、嬉しく、幸せに思うことは随分少ない。
だからこそ楽しく、嬉しく、幸せを感じられるのである。

この世の中が楽しいことや嬉しいこと、幸福に満ち溢れることばかりだったら、何が幸せなのか分からなくなってしまうものだ。

普段から物理的に満たされ、贅沢三昧な生活をしていたら、幸せだと感じることはできないだろう。
人間は際限のない生き物で、毎日白米しか食べていないと白米の美味しさなど実感できない筈であり、白米の中でもコシヒカリやササニシキ、北海道のミルキークイーンなどの上級米を求めるもので、無名の白米では満足できなくなってしまう。

そして、何より人間という生き物は悲劇のヒロインが好きなのだ。
不幸の中に身を置く自分に酔ってしまうものだ。
だから、もしかすると知らず知らずのうちに自分を悲劇の主人公に自ら仕立て上げているのかもしれない。
苦しみから心を解放する唯一の手段ということなのかも。

人間という生き物は自己防衛本能が備わっており、究極の精神崩壊から逃れる術をもっている。
それが現実逃避であったり、酒に溺れることであったり、目や耳から入る情報を遮断することであったり、夢や理想や想像に生きるということなのだろう。

この世の中は辛く苦しいことばかり、努力しても報われることはない、社会は理不尽である、要領の良いお調子者が出世し真面目な人間ほど評価されにくい。
そういう正しいことを子供たちに教えておくべきであり、子供の頃からこの社会の真実を知らせておくべきと言っていた人がいるが、私はそれも一理あると思った。
理想や夢物語ばかり大人から聞かされ、夢は叶う、努力すれば報われる、そんな嘘ばかり帰化されて社会に出てみたら全く違う世界が広がっている。
そんな恐ろしい現実を目の当たりにしたら、そりゃ挫折するだろう、自殺もしてしまうだろう、予防接種は人生においても必要なのである。

強く、本当に強く人生を歩んで行こう。

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