占いと人生

手相、人相、占星術、宿曜術、タロット占い等いろんな占いがあり、みんな占いが好きなのだなぁと、つくづく思う。
釈尊は占いを否定され、占いに頼るべきではないとおっしゃられていた。
人の一生は、生まれる前から決まっており、生まれてから死ぬまで、どのように生きてき、どのような喜びや悲しみ、そして苦しみが起こるかは既に決められている。
それ故に占いは無意味であるということなのだろう。
また、手相や人相は変わる、つまり努力次第で運命は変わるとよく言われるが、それは違う。
運命は変わらない。
生きていればシワも増えれば老化も進む、それに応じて手相も人相も変わるものだ、当然である。

つまり、占いとは気休めでしかなく、既にそのひと自身の生涯が決まっていることをなぞっているに過ぎず、たまたま統計的に多くの場合、この手相はこうだ、この人相はこうなる、このホクロの場所の人はこういう人生だと言っているにすぎない。
それが当たっていると思わされているだけなのだ。

人生は淡々と生きればよい、決められた課題をこなし、天寿を全うすることが何より大事。
同じ日に、同じ場所で生まれ、同じものを食べて同じ環境で同じように育てられても、同じ人生を歩むことはまずない。
それは、人それぞれに課程が決められているからにほかならない。
占いに頼って一喜一憂するなど馬鹿々々しい。

何も知らずに、この先何が起こるか楽しみにワクワクしながら生きる方が良いではないか。
良きも悪しきも受け入れて楽しむ、これこそが人生の醍醐味というものではないだろうか。

ひとつ重要なことは、この世に偶然はないということだ。
つまり、全ては必然なのだ。
と言うことは、占いとて同じで、たまたまその卦が出たわけではなく、元々決まっている結果が出たということである。
つまり、本物の占いとは何度占っても結果は同じはずである。

何度占っても結果が都度違っているとしたら、それは本当の占いではないということだ。
当たるも八卦、当たらぬも八卦、という言葉があるが、要するにそうではないということである。

まあ、ただ考えてみれば、自分のこれから先の人生を改めて知る必要があるのか、良くも悪くも先のことなんか知らずに生きていた方が良いではないか。

占いは科学なのだ。
古代より、国家形成以前からシャーマニズム、自然神信仰の中にあって、各集落には呪(まじな)いや占卜を行うシャーマンがいて天気予報や病気治癒、作物や狩猟に関わる占いを行っていた。
その一人が卑弥呼であるとも言われている。

大和朝廷が出来、中央集権国家が形成され、その官庁の中に占いを専門に行う役職が存在していた。

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