日本を救った偉大なる大帝、昭和天皇

私が尊敬してやまない昭和天皇。
ご立派で、人情に厚く、お優しい毅然とされた帝であり、昭和天皇がおられなかったら、この国はなくなっていたかドイツや朝鮮のように分断されていたであろう。
昭和天皇に関する逸話は沢山あるが、私が知り得ていることを記したい。

幼少の頃から侍従や女官に対する細やかな配慮を常にされておられたお優しい皇子であられた。
天皇に即位されてからの晩餐会の席で供されたメインのローストビーフに、たまたま昭和天皇に給仕されたものだけに糸がついたままであった。
総料理長の秋山徳三は、下げられた料理に糸が付いたまま手が付けられていないものがあることを確認し、とんだ粗相をしてしまったと、国家の面子をつぶしてしまうことになるであろうことから、良くてクビ、最悪は銃殺刑になることを覚悟した。
晩餐会終了後、昭和天皇に召され御座所に行くと、昭和天皇は柔和にお優しい口調で「私で良かった」と仰られ、咎めることも叱責されることもなかったという。

太平洋戦争が終結し、日本は敗戦国として国連の統治下に置かれた。
連合国軍総司令官ダグラス・マッカーサー率いるGHQによる委任統治下、昭和天皇による発意によって天皇陛下自ら皇居向かいのGHQ本部として接収されていた第一生命ビルに向かわれた。
マッカーサーはじめ、GHQの高官たちは他国の元首同様、命乞いをするか、逃亡を図るだろうことを予測した。
しかし、昭和天皇は毅然と現れ、昭和天皇自らマッカーサーに歩み寄り、握手の手を差し出された。
そして「私はどうなっても良い、必要であれば見せしめとなって処刑も甘んじて受けよう。すべての責任は私にあるのであって、国民に罪はない。国民を救っていただきたい」、そう仰られた。
マッカーサーの回顧録によると、昭和天皇と初めて面会した時、マッカーサーは天皇が保身を求めると予想していたが、昭和天皇は「私は国民が戦争遂行時にあたって、政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の採決に委ねるため、あなたをお訪ねした」と発言された。
昭和天皇の捨て身の御覚悟は、マッカーサーの心を打ったそうである。

終戦後の日本全国を御巡幸(戦災復興状況御視察)されたことも、当然GHQとしては、敗戦に導いた元首として国民から石を投げられたり、罵声を浴びせられて、途中で中止すだろうと目論んでいたようだが、どこに行かれてもそのようなことは起こらず、膝を突き合わせ、時には抱き寄せて涙をお流しなられる昭和天皇に対し、誰もが涙を流して感激し歓迎された。
日本国民の特異性にGHQでは恐れをなしたという。
この戦後の御巡幸は、昭和天皇自らがお決めになられ、雨の日も風の日も国民の前に立たれ、一人ひとりにお声をかけられた。
昭和21年から昭和29年までにわたる46都道府県を御巡幸された(沖縄は当時まだ返還されておらず、最終的に沖縄のみ行くことが叶わなかったことを生涯悔やまれておられたという)

昭和天皇に関しては、書ききれないことが沢山あるが、また機会をみては少しずつ記したいと思う。

昭和天皇なくして、今のこの平和はあり得ない。
これは確かである。

昭和天皇は明治34年(1901年)4月29日に大正天皇と貞明皇后との間にお生まれになられ、大正15年/昭和元年から昭和64年1月7日崩御されるまで60年に渡って在位された。
第124代天皇、諱は裕仁、称号は迪宮(みちのみや)、御印は若竹。
大正10年(1921年)11月25日 20歳で摂政に就任し、摂政宮(せっしょうのみや)と称された。
幼少期の教育係は乃木希典陸軍大将が任ぜられ、昭和天皇のご立派な御心が涵養された。

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