肩の力を抜いて、なるようにしかならぬと楽観的に考え、気持ちを楽にして生きてはどうだろう。
前からお話している通り、生まれる前からどういう道程で、どのように生き、そして死ぬこと、起きる全ての事象は決まっている。
だから心の向くまま、時の流れに身を任せて淡々と生きていけばよい。
学校に行きたくなければ行く必要はない、仕事に行くのが嫌なら行かなければよい、食べたくなければ食べなくてよい、旅行に行きたければ行けばよい、美味しいものをたらふく食べたければ食べればよい、離婚したければすればよい、結婚したければすればよい、したいように生きれば良い。
ただ、だからと言って何でもかんでもというわけではない。
盗みや、殺人、詐欺など、人の道から外れた行為は絶対してはならない。
絶対してはならないが、もしそうせざるを得ずそのような行為をしなければならないような状況に陥ってしまったら、それは試験である。
人生、何度か大きな選択に迫られることがあるが、それは試験なのだ。
神は人間道場で修業させる課程の中に、やっぱり人間界の学校と同じように試験を盛り込んである。
その試験が選択である。
80%の運命と20%の選択だ。その選択によって、その後に与えられる課程も変わる。つまり、パターンが用意されているという訳だ。
カッとくることがあり、殺したいほどの憎悪を抱いたとしても、当然そこは実行しない選択をしなければならない。
選択するボタンは決まっているが、時として不完全な人間は誤ったボタンを押してしまうことがあるのだ。
この世の事象は現実ではない。人間というスーツを着ている時に見られる立体的体感映像とでもいうべきか。
この世の見えること、聞こえること、感じられることに惑わされてはいけない。
人生とは気を楽に清く正しく美しく生きることが肝要であり、ただ無理をしてはいけない。
仕事のために人生があるのではない、生きるため、趣味を充実させるための手段として仕事があるのだ。
勘違いしてはならない。
気を楽に、心を楽に、穏やかに生きていこう。