田舎暮らし

都会に生まれ育った人たちは田舎に憧れるようだ。
両親が都会出身だと田舎に帰省することもないということで、お盆やお正月に田舎に帰省する人を羨むようだ。

日本は島国であり、昔から集落をつくり、集落の中に掟をつくり、そこから習慣や風俗が生まれて村という集合体が出来上がった。
その村の集合体が国を成している。

田舎と言えば正に邑(村)である。
そもそも邑(むら)とは同系氏族の集合体であることが多い、それ故に地方の集落には同姓が密集しているのだ。
ひとつの集落に同姓のみということはなく、大抵違う姓が二分または三分して存在することが多い。
例えばAという集落には田中、高橋、Bという集落は柳沢、井出、Cという集落は鈴木、宮坂などである。
このように同姓、同族で培ってきた集落、つまり邑の慣わしは独特のものがあり、そこによそ者が転居してきても、なかなか受け入れられないのではないだろうか。
限界集落、過疎の里山、それらを活性化させるため移住者を集っている地方自治体が増えているが、最初は集落をあげて迎え入れ、あれやこれやと親切に面倒を見てくれるようだ。
しかし時が経つにつれて移住者は住みずらくなるという。
よそ者には敏感なのが邑なのである。

昔から居住している一族、そして他の一族とも長い時間をかけて争い、妥協し、ゆっくり同じ集落に同居するようになった歴史というものがある。
平家の落人の集落、武田の落人の集落、明智の落人の集落等同族や一門の絆によって構築されていた関係の上に成り立っていることが多い。
そこに新たな移住者がそう簡単に馴染めるわけがない。
また、回覧板の回覧、草刈り、堰のさらい、神社の旗立て、消防団、集落(自治区)の役員、地域の運動会等イベントへの参加等、早朝や休日を犠牲にして協力しなければならない。
そういった経験がない都会の者が馴染めようか?
最初は馴染めよう、しかし、そこに住み続ける限り永遠に参加しなければならず、参加しない家は村八分、つまり近隣住民から敬遠され、回覧板すら回ってこなくなってしまうのだ。
今まで優しかった村人はどこに行ってしまったのか・・・・。
そんなことになりかねない。

集落が出来るのも、衰退するのも、それは時の流れであり、時代と共にある文化だと思う。
衰退し、消滅していくには、それ相応の理由があるということだ。
無理に残すことはない。

また、直接的には関係のない話だが、少子化結構、人口減少は非常に良いことである。
国単位で考えてしまうと大変に思われることが多々あるが、地球規模で考えれば増えすぎた地球上の人口が少しでも減ることは地球環境の保全につながる。
それに、我が国で言えば一昔前の人口に戻るだけのことではないか。
今までが異常だったのだ。
店舗も人口増加に合わせて、ただ飽和状態になっていただけであり、淘汰されていくのは至極当然である。
今までが多すぎた、理容室、歯医者、コンビニ、ラーメン屋など誰が見ても飽和状態この上ない。

今の文明が3度目の地球文明、神武天皇から始まる神倭朝(かんやまとちょう)であることは以前にもお話した。
もうそろそろこの文明も終わろうとしている。
また、地球は浄化されて原始から四度目の出発をするのだ。

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