一つ目小僧、ろくろ首、から傘小僧、砂かけ婆、一反木綿など、これらの妖怪は本当にいたのか、いや、いるのか。
妖怪は霊とは異なり、三次元の存在であると考えている。
つまり、異界のものではなく、この我々人間が存在しているこの次元に存在していると考えるのである。
え?と思うかも知れないが、妖怪は人間だからだ。

今でこそ医学が発達し、奇形とハンセン病(らい病)が見られなくなってきているが、戦中以前はそれらの症状をもった人々が大勢いたし、街中にもあふれていた。

足が三本ある人、指の数が多い人(豊臣秀吉は指が6本あったとか)、目が三つある人、腕がない人、鼻がない人、顔が変形し原型を留めていない人、男性器が体に巻き付くほど長い人、口が大きく割けている人、目が一つしかない人、頭が二つある人、お尻の穴がない人、口がない人、体が二つくっついている人など。
こういう障害をもった人たちを妖怪になぞらえたわけである。
妖怪とは、身体的奇形や障害をもった人たちを蔑視した言葉であった。

その風体から人々から怖がられ、社会から遠ざけられ、妖怪と呼ばれた人たちは次第に人間社会の片隅に追いやられていった。
それは遠い昔、古代から戦後(昭和初期)まで続いたことである。

もしかすると今でもそうかも知れないが、奇形の赤ちゃんが産まれると死産と称して処分してしまうことが行われている。
昔は双子すら忌み嫌われ、双子が産まれると片方を殺したのだそうだ。

民俗的な、より内面に食い込んだ知られざる話は何だか怖いというか、不思議な感覚に陥る。

サンカや被差別部落など民俗学的な観点から社会を見てみるのもまた非常に大いなる学びになると思う。
そして、この狭い日本の中でも未だに誰にも知られていない山村があり、そこでは電気やガスなど文明的ライフラインに頼らず、昔ながらの自給自足の生活を営んでいるところがあるとか、江戸時代さながらの生活だとか、そういうことが現代においても噂として耳に入って来る。
妖怪とは、そういった人間社会の裏側にある、もうひとつの社会の存在を訴えているような気がする。
我々は、今ある文明の利器に囲まれた生活をし、それが人間社会の、この日本の社会の全てであるような気になっているが、実はそうではないのかも知れない。